10年間【ワンオペ育児主夫】という生き方選択した3つの理由


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うちのこども達が小さい頃、うちの妻は単身赴任をしていて、10年間、わたしがワンオペ育児で主夫をしていました。

しかも、仕事を辞めてではなく、仕事をしながらという、ちょっと狂気じみたやり方をしていました。

さらに、この間に下の息子も小学校に入り、なんと、PTA役員と学童保育所の保護者会の副会長の兼務という、恐ろしい状態になっていきました。

そんなハードモードでも、【ワンオペ育児主夫】という生き方を選んだわたしの3つの理由を書いてみます。

目次

妻のモンスター級のキャリア志向

まず、大前提として妻のことがある。

わたしの妻は、モンスター級のキャリア志向で、キャリアアップのためならば、単身赴任をもいとわないタイプの人間だったということ。

妻自身が言っていたのですが、家庭に入って、家事をするよりも、バリバリ仕事をしたいタイプだと常々言っていた。

そのせいか、妻の方が仕事時間がいつも、わたしよりも長かったし、夜勤のある仕事もしていた。

そう言った、役割の性質上なのと、わたしの元々の性質によって、段々とわたしは主夫に近づいて行ったのでした。

最初は夜勤ありの仕事だった

妻のキャリアの話をすると、私たちの1番最初の子供、娘が生まれた時、生後三ヶ月で妻は仕事に復帰をしました。

わたしも仕事をしていたために、通常は、保育園に預けていました。

けれど、仕事が終わるのが早いのはわたしの方だったので、大抵お迎えに行くのはわたしの方でしたね。

娘をお迎えに行くと、妻が帰ってくるまで、娘を連れて、スーパーにお買い物に行っていました。

いろいろシフトによって不定期に夜勤になったり、平日休みだったりが妻のその当時の働き方でした。

だから、土日に乳幼児を抱えて、一人で、一日過ごすなんて日もかなり多かったですね。

妻の単身赴任という選択

「妻が単身赴任」ってわたしの周りになかなかいなかったので、モデルにできる人達がいませんでした。

だから、私たち夫婦は、結構この件に関しては色々話し合いました。

もし、わたしがどうしても仕事が休めない時に、保育園に行けなくなる(インフルエンザなど)時には、妻が一時的に帰ってきて、交代交代で面倒を見る事や、わたしと妻の両方どちらもダメな時は、わたしの叔母の家や、妻の妹に助けてもらうなどを決めていきました。

あとは、やって見るしかないと、実際に行動していきました。

何か問題が起きたら、その度電話で妻と相談しあって決めていくと、意外となんとかなっていきましたね。

やっぱり外せない収入増

妻の単身赴任が決まったと同時期に私たち家族にはもう一つイベントがありました。

それは、家を新築で建てるということでした。

それもあって、妻が単身赴任を選んだわけなんですが・・・

しかも、妻がその仕事に就くことで、かなりの収入増になることが明らかでした。

なぜかというと、その単身赴任は社長さんが新しく新会社を立ち上げて、妻がその役員になるという事だったからでした。

そのおかげで、家のローンも楽々返せるように、計画することができたのです。

わたしの性格とその時の状況

自分で言うのもなんですが、わたしはマメ男と周りには言われていました。

自分では普通だと思っていることでも、妻をはじめ、他の人にはかなりマメに見えるみたいでした。

でも、その性質のおかげで、一人で育児をしながらも、仕事をして家庭を切り盛りできたのかもしれません。

そういえば、日記も、15年間欠かさず毎日書いているのも、それの一つなのかもしれませんね。

大一族の本家の長男という縛り

自分分析ですが、わたしが一族の本家の長男だったことが、マメ男に拍車をかけたのかもしれません。

一族の本家って、あんまり関係ないように思われるかもしれませんが、意外と関係あるんですよ。

めちゃくちゃ親戚が多いので、それらを全て把握しておくのと、きちんと挨拶をするということを叩き込まれした。

おかげで、ちゃんとしていないといけないっていうプレッシャーから、なんでもマメにする癖がつきました。

(これも善し悪しだったりするんですけどね。)

そうやって、精神的に刻まれてマメにする事を刻まれてしまったので、ちゃんとしていないとものすごく気持ち悪い感じがするんですよね。

新築の一戸建てと同じ時期だった

特に大きな原因だったのが、その時、新築の一戸建てを建てている最中という事でした。

妻の単身赴任が決まる前、家族でひまだったので、レジャー代わりに住宅展示場に遊びに行ったのがきっかけでした。

その中で、1つのハウスメーカーの展示場を見て、一目惚れ。

そこからトントン拍子で、家を建てる事になり、契約も済ませている状態でした。

その最中に、妻の転属の話がでて、それが通勤が不可能なぐらいの遠いところ。

結局わたしたちは、妻が単身赴任、家族は新築家に引っ越すことに決めました。

ハマり症を悪化させた男

妻から大切な子ども達を託された事と、新築の家を与えられた事で、以前からやっていた家事力、育児力にさらにパワーがプラスされました。

新築の庭も、土だけ業者さんに敷いてもらい、芝の種を自分でまき、一面芝生の庭を作り上げたり、料理もクックパッドで勉強しながら、子ども達が飽きない様にレパートリーを格段に増やしていきました。

さらに、お菓子作りにもハマり、いろんなお菓子を作って子ども達に振る舞いましたね。

そして、新築なので、汚さない様に、まいにちの掃除もがんばっていましたねー。

どうしてもハマれなかったのは、洗濯ぐらいでした。(笑)

結局、信頼関係がすごかったって話

結局どうして、こんな生活が成立していったのか?を分解して考えてみると、やっぱり信頼関係がすごかったんじゃないかと思っています。

何故にこんなに信頼関係があるかというと、わたしと妻とは高校時代に出会っています。

部活の先輩と後輩という関係から始まり、妻が16歳の頃から付き合って、今の結婚生活まで続いていたことが大きいのかなって思います。

人生の大半を一緒に過ごしているので、お互いのほとんどの事を知っているのです。

妻が子供を託してくれた感動

わたしが主夫になった一番の理由が、「妻が子ども達をわたしに託してくれた」事。

つまりこれは、わたしを信頼してくれていると言う事。

最大限の信頼の証拠になります。

わたしはそこに感動して、きちんと引き受けて、やっていこうと、決心する事ができました。

たぶん、その信頼がなければ、この10年もの間、一人で家事育児をして行く気力が湧かなかったかもしれません。

土日に返ってくる約束に救われた

10年間ワンオペ育児とはいっても、同じ県内に妻は単身赴任していたので、土日には、私達の元に返ってきて、子ども達とも交流してくれました。

その土日があったから、わたしもその日は気を抜くことが出来て、リフレッシュする事ができました。

週末だけですが、こうして気が抜ける瞬間があるだけでも、平日を頑張れる気力になりましたね。

これがずっと張り詰めている状態だったら、おかしくなっていたかもしれません。

助けてくれた人々

その他にも、私達の家族の事を助けてくれた人々がいました。

亡き母の妹、つまり叔母の家にはちょくちょく遊びにいって、叔母に子ども達を見てもらっている間に寝かせて貰ったりもしていました。

また、妻の妹も、どうしてもわたしが仕事で動けなくて、妻も帰って来れない時の、お迎えなどでお手伝いをいただきました!

こうやって、支えてくれる人達がいたので、何とかなったと言うのもありますね。

■まとめ

結論、10年間ワンオペ育児をしてきて、わたしはとても良かったと思っています。

人生にこんな宝物を貰えたこと、すごく感謝しています。

パパとしてきちんと子育てに関われた思い出はなにものにも変えがたいものがあります。

それによって、これからの人生にも、きちんと生きて行ける自信がつきましたよ。

パパになりたての人が読んでくださっているならば、是非育児に参加してみてください。

すごく自分への宝物になりますよ。おすすめです。

りんだーく(@rindark)でした!
では、またね〜。

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この記事を書いた人

●生まれ/居住地:山形県
●血液型: A型
●誕生日:ないしょ
●職業:主夫/営業(正社員)/グラフィックデザイナー
●家族構成:妻・長女(専門学生)・長男(中学生)・妻の母(要介護認定)
●ペット:猫3匹(全部オス)

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